左利きへの憧れ

昔、私の姉はよく骨にヒビが入ったりして三角巾で腕を吊っていた。
非常に健康優良児だった私は、風邪で熱を出すこともめったになく、まして骨にヒビが入ったり、骨折したりなんていう大きな怪我をすることもなかった。

そんな私にとって、三角巾で片手が使えなくなった姉が、利き手ではない方の腕でたどたどしく生活をしているさまは憧れであった。
着替えも母に手伝ってもらって、何か食べるときも食べさせてもらえる。
本人に取ったら非常に不便なことも、私からしてみればとても羨ましかった。
不謹慎な、と思わば思え、子供心にはそうでもして、周りからの注目を集めるということへの憧れがあったのだ。

大人になった今では、着替えを手伝ってもらうことに対して憧れはなくなったけれども、せめて私が生きていく上で頼り切っている利き手である右手になにかあった時に、問題なく生活していける力が欲しいなと思うようになった。
必ずまわりに誰かいるという状況とも限らないのだ。
ということは、今の利き手に何かあった時に頼らざるをえないのは私の左手。
この左手で全ての生活を支えていかなくてはならない。

と思い、少しずつ左手でものを書いたり、ものを食べたりする訓練をしている。
箸は一向に使えるようにならないけれども、少しずつ文字は上達してきたように思う。
もう少しできっとフォークも上手に使えるようになるだろう。

私のこの訓練は、よく無駄なことだと馬鹿にされる。
確かに一見馬鹿馬鹿しいかもしれない。
けれども、そこは防災訓練と一緒、備えあれば憂いなしである。
最後に笑うのは私なのである。

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